[ 新鴫野橋 ]
( しんしぎのばし)
[ SHIN_SHIGINO BRIDGE ]
第二寝屋川に架かる橋である。
現在の新鴫野橋とほぼ同じ位置に、かつて鴫野橋という公儀橋があった。この橋は大坂城の城内にあり、
一般の人々が利用できない公の性格の強い橋であった。初めて架けられた時期は明確でないが、豊臣時代
の城絵図や冬の陣・夏の陣を描いた絵には見あたらず、この時期にはまだ架けられていなかったものと思わ
れる。
鴫野橋は公儀橋12橋の中に数えられているが、江戸時代前期の規模は、橋長57.6m、幅員2.7mと、他の
高麗橋や天神橋などの公儀橋の幅員が8m近くあったのに比べると狭いものであった。明治になって弁天島
の地が軍の用地となり、橋も陸軍の施設となったため、橋に関する詳細は伝えられていないが、この時期に
鉄橋になった。その後の新鴫野橋は、橋長約55m、幅員8mの規模で、昭和10年3月(1935)に完成したもの
と伝えられている。
近くの寝屋川には、地名から鴫野橋と命名された橋があるが、戦後、軍管理の橋が大阪市に引き継がれ
る際に新鴫野橋と命名されたため、公儀橋の鴫野橋とは場所が入れ替わってしまった。近年の発掘調査で
発見された大坂城の石垣の配置からも、古い鴫野橋が現在の新鴫野橋とほぼ同じ位置に架けられていたこ
とが確認されている。
現在の橋は昭和63年(1988)に架け換えられたもので、擬宝珠(ぎぼし)高欄が付けられ、由来碑も整備さ
れている。

全景
側面
橋脚部
高欄擬宝珠(橋名:漢字)
高欄擬宝珠(橋名:ひらかな)
道路面
新鴫野橋 説明碑
(画像をクリックすると拡大して見られます)

「新鴫野橋」は、旧大阪砲兵工廠の敷地内にあり、近くに「旧大阪砲兵工廠化学分析場」の建物が残っている。